2008年のベスト(1/2)

 遅ればせながら,あけましておめでとうございます。
 
 振り返るタイミングが遅いっていう話もありますが(^^;,どうにもこうにも怒涛のように過ぎた2008年でした。 その影響か,ここに書いた記事も少なかったですね。 更新のモチベーションを上げる何かを自分の中に作らないと……などと思いつつ,みなさまの感想などお待ちしています……なんてことも書いてしまうのだった。(^^;;
 
 ということで,またしても年を越してしまいましたが,とりあえず書きます「2008年のベスト」。 今回も2回に分けて去年出会った「良かったもの」たちをご紹介です。 まずは,前半戦ということで,印刷物部門と(珍しいことに)映画部門です。
 
 
[印刷物部門]
 まずは印刷物部門です。 2007年のベストを書いたときは,2008年はもっと本を読もうなどと思っていたのに,フタを開けたら,むしろ読書量が落ちてしまったのでした。 ……う〜〜む。
 
文明崩壊(上) 滅亡と存続の命運を分けるもの (Jared Diamond,草思社)
Collapse 実は,これ,まだ下巻を読了してないんですが,このままだと 2008年にも 2009年にも含まれなくなりそうなので,挙げときます。
 過去において失われた幾つかの文明について,その理由を環境との相互作用の観点を重視しながら解説,そこから我々の文明のとるべき道を探ろうというものですが,上巻で紹介される,歴史上のさまざまな文明の崩壊のさまが,なんとも言えない感慨を呼び起こします。 なにしろ上下巻の分厚い本で,僕は現在,下巻の半ばなので下巻についてのコメントは控えますが,とりあえず,上巻はオススメです。

アフリカ 〜苦悩する大陸〜 (Robert Guest,東洋経済新報社)
Shackled Continent これまであまりに無関心だったせいもあってか,アフリカの状況について先入観すら形成されてない状態だったので,この本に大きなショックを受けるというところまではいきませんでした。 しかし,アフリカの種々の問題がはらむ難しさを,これでもかと指摘され,その厳しい現実の前に言葉をなくします。
 アフリカへの援助ということを,有名人がキャンプを訪問してかわいそうな子供を抱きしめてあげたりすることだと思ってる人(←そんな人,あんまりいないと思いますが),そうでなくても,日本は大金を援助に供出しているからそれでOKと思ってる人,それから,僕のようにあまりに何も知らない人,……みな,一読の価値があるのではないかと思います。
 それから,「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のこの記事あたりで知った「アフリカ・レポート (松本 仁一,岩波新書)」も,比較的近い趣旨ではありますが,コンパクトで読みやすく,こちらもいい本だと思いました。 ……もっとも,終盤,読者に希望を与えておいて,最後にまたキツイ現実をつきつけるという展開には参りましたが。


 
[映画部門]
 本は読まなかったけど,なぜか今年は例年よりもたくさん映画を観たような気がします。 といっても,その「例年」ってヤツが「ほとんど観ないに等しい」ってな調子なので,絶対数では全然たくさんじゃないんですが。
 
ヤング@ハート
YOUNG@HEART それにしても,どうにも偏ってることに,観た映画のかなりの割合をドキュメンタリーが占めていたりします。 で,ベストは,やはりこれかな?というわけです。
 いやー,実際これには参りました。 ネット上で誰かが「これはズルイ。 こんな題材を撮ったら面白くならないわけがない」みたいなことを書いてましたが,確かに,どうあがいても(って,別にあがいてはいないが)感動せずにはいられない映画でした。 (僕も含め)多くの人が感動し,なおかつ幸せな気分で映画館を後にしたのではないかと思います。
 個人的には,映画の大枠(コンサートの準備開始から当日までの紆余曲折を追いかけたドキュメンタリーです)ももちろんですが,随所で出てくるパフォーマンスの素晴らしさにもヤられました。 彼ら・彼女らが歌う,そのことによって,有名なあれこれの曲に,企まずして全く新しい解釈が吹き込まれている……ということに,ガッチリ心をわしづかみにされてしまったのでした。

敵こそ、我が友 〜戦犯クラウス・バルビーの3つの人生〜
Klaus Barbie エラそうに言ってしまえば,これは秀逸なドキュメンタリーでした。 本来なら戦犯として裁かれてジ・エンドだったはずが,戦時・戦後の国際関係の波に呑み込まれ,というか,結果的にはその波に乗ることによって生き残ることが出来た1人の人間の数奇な生涯を追った作品ですが,僕も含め恐らくほとんどの人が,主役であるクラウス・バルビーに決して好感をもてないでしょう。 しかし,彼を利用しようとする国際政治の思惑が,結果的には彼を救うことになります。 観終わって,なんとも言えない苦い後味。 でもそれが現実なのだ,ということがまたズッシリとのしかかってきます。

(次点) 僕らのミライへ逆回転
 これはドキュメンタリーじゃなくて普通の映画です。 以前,町山智浩さんが BLOG で紹介していたので気になっていて,日本公開されたということで観にいきました。
 この邦題はどうかと思いますが,中身のほうはなかなか良いものでした。 ドタバタコメディそのものの前半から,最後にはジ〜〜〜ンとさせる……と書くと,喜劇の王道みたいな展開ではありますが,その「ジ〜〜〜ン」が,僕達が何かを作ったり表現したりする,その根っこの部分に想いを馳せずにいられないものだったりして,そこに見事にヤラれてしまいました。

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2007年のベスト [1/2: 紙編]

 ということで,今年もやることにしました,この1年のベスト。 今年は年を越す前にやるぞ!ってことで早々と(当社比)開始です。 各部門,これ以降に出会った作品は来年扱いということで。 もちろん,僕にとっての今年のベストなので,例によって今年出たわけじゃないものも含まれます。
 で,今年も2回に分けて書く予定です。 第1回は紙媒体(印刷物部門)。
 



[印刷物部門]
あなたの人生の物語(テッド・チャン,ハヤカワ文庫)
Ted_chiang 「なにをいまさら……」という人も大勢いるでしょう。 はい,いまさらです(←開き直り)。
 テッド・チャンの,この時点での全作品を収めた短篇/中篇集。 翻訳が出たのは 2003年の後半なので,もう4年前ということになります。
 数々の賞を受賞している作品ですが,そうした高い評価を知りながら今の今まで読まなかった,ということを,これほど恥じたことはありません。 冒頭の「バビロンの塔」のファンタスティックな描写と展開に心地よく驚愕し,さらに,表題作を読み終えたときには,あふれ出る感動を抑えることが出来ませんでした(早い話が,すっかり号泣モード(^^;)。
 
 去年あたりから,ノンフィクションや評論みたいなのばかり読むようになっていたんですが,これを読んで久々に小説というものの良さに目覚め,その後はフィクション/ノンフィクション併せて読むようになったのでした。 その意味でも,僕にとって今年のエポックになった本と言えます。 もしまだ読んでない方がいたら,ぜひどうぞ。
 
 
生物と無生物のあいだ(福岡伸一,講談社現代新書)
Lifelifeless 折からの新書ブームのせいで粗製乱造ぎみになったのかどうかは分かりませんが,どうも僕が今年読んだ新書は中身の薄いものが多かったように思います(まあ,たまたま引きが悪かったのかも知れませんが)。 ……そんな中,ひときわ充実した気分を味わったのがこれでした。
 著者の実体験を織り交ぜながら,20世紀から今日までの生物学(特にミクロなレベル,つまりは「バイオ」という言葉から想像されるような方向の生物学)の発展を追いかけているんですが,なんといっても語り口が素晴らしく,グイグイ読まされてしまいます。
 科学に興味はあるけど,どうも日本の科学者の書く本は読みにくい&分かりにくい印象を持っていると言う人がもしいたら(←昔の僕が,まさにそうでした),「そんなことはないぜ。 そういうことはこれを読んでから言ってくれ!」と言い返したい。

(追記 [2009/01/11]
2008年のベスト」を書いていて思い出したんですが,ネット上の幾つかの記事を読む限り,この著者の福岡伸一さん,どうも,あちこちでヤバげな(と僕には思えるような)発言もしているみたいですね。 確かに,この本でも,読みながらちょっと気になりつつもスルーしたところも幾つかあったような気がします。
 まあ,そういうことがあるにせよ,この本がいい本だという僕の評価じたいに変化はありません。 ただし,(とりあえず)その評価はこの本限定ということにしておきたいと思います。)
 
 
(次点)自分の体で実験したい−命がけの科学者列伝(レスリー・デンディ+メル・ボーリング,紀伊國屋書店)
 予想以上に楽しい本でした。
 「自分の体で実験したい」という題名からは,なにか「楽しさひとり占め」みたいなエゴイスティックな雰囲気が感じられないでもありませんが,原題は "Guinea Pig Scientists" (直訳するなら「モルモット科学者たち」ってなところか)で,ちょっとだけ趣が違います。
 自分の体で実験した科学史上のいくつかのエピソードが収められており,確かに「自分の体で実験する楽しさ」みたいなものを感じさせる話もありますが,その一方で,(「実験台」という言葉から当然予想される)医学系のエピソードなどでは,他人の命を危険にさらすわけにはいかないという判断や,あるいは,より冷静に,その実験の持つ危険な要素・実験で観察すべき点などを最もよくわかっている自分が実験台として一番ふさわしいという判断で「自分を使った実験」に挑む様子が描かれています。 そして,それらの中には悲しい結末を迎えた話もあり,心揺さぶられます。
 
 僕自身の経験でも,学生時代の実験で危険な場所(←あくまで可能性としての危険ですが)に踏み込む必要があるとき,そういう場面だけは先生たちが買って出ていました。 普段は学生を労働部隊みたいな感じで使っていても,です。 僕の経験をただちに一般化は出来ませんが,やはりそういうものだろうと思ったりします。
 
 
(次点)現代の貧困(岩田正美,ちくま新書)
 右を向いても左を向いても,「格差」とか「ワーキング・プア」などの言葉がやたらと飛び交った1年でしたが,この本は,そういう言葉たちの背後にある通奏音とも言うべき「貧困」の問題について,基本的な知見を示してくれる本と言えるでしょう。 データに基づいて話を進めるので,決して読みやすいとは言えませんが(あ,もちろん難しい本というわけではないです,新書だし),その分,このところの格差論なんかにありがちな感情的な記述に陥ることなく,歴史や現状を静かに把握させてくれます。 この手の問題に不案内な僕にはかなり意外な数字もあったりして,「う〜〜ん」と思わされたりしました。
 データ分析を離れた議論になると,必ずしも説得的ではないように思えたので次点にしましたが,エモーショナルな格差論議に絡め取られる前に,ベースとなる知識を得る……という意味で読んでおくといい本かも知れません。

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2006年のベスト [1/2: 紙編]

 みなさま,今更ながら,あけましておめでとうございます。
 
 Michael Brecker が亡くなったという悲しいニュースが飛び込んできて,ちょっと放心したりもしましたが,……まあ,悪いニュースの後は良いこともあるということで,充実した1年にしましょう(単純すぎるかな)。 ともあれ,今年もよろしくです。
 



トゥルーデおばさん さて,今回は,2006年に読んだり聴いたりしたもののベストを挙げようという企画です。 普通,こういうものは年末に済ませとくものなんでしょうが,書こうということだけは決めたクセに,何やかや言ってるうちに実行するのがどんどん遅くなってしまい,こんな時期にずれ込んでしまいました。
 というわけで,年明けから,いきなり,思いっきり後ろ向きな記事ですが,……まあ,いいではないですか (^^;。
 
 で,珍しく2回に分けて書くつもりですが,今日は,まず紙媒体のものです。
 バンドなんかやってて出かけることが多いせいもあって(ハイ,ただの言い訳です),正直なところあまり本を読んでないんですが,それでも,多少は読んだ本もあるので,そこから面白かったものを順不同で紹介します(わざわざ僕が書くまでもない,通りいっぺんのものばかりという気もしますが,まあ,それは気にしないのがお約束ということで)。
 
私家版・ユダヤ文化論 (内田 樹 文春新書)
 去年何冊か読んだ内田樹さんの本の中で,いちばん面白かった(スリルを感じた)のが,これ。
 僕は,ユダヤ問題については知らないことがあまりに多いので,例えば,途中に示される日本およびヨーロッパにおける歴史的な記述について,それが当時どの程度の影響力を持ったのか…など,この本の範囲内だけでは把握しきれなかったというのが正直なところです。 また,ここで示される論理展開には,疑問な(正直なところ,承服できない)点も多々あります。 しかし,そういった部分を差し引いても,ユダヤ人とは一体何なのか,ユダヤ人が示すとされる知性や独創性の本質はどこにあるのか,といった問いに立ち向かう刺激的な論考として,一読の価値はあるのではないかと思います。
 
性と暴力のアメリカ (鈴木 透 中公新書)
 「性に関する取扱い」と「暴力(特にリンチ)」の2つを軸に,アメリカという国の特異性をあぶりだす試み。 終章で述べられる結論はやや凡庸という気もしますが(失礼),そこに至るまでの,アメリカ史を読み解く部分の記述には非常に興味深いものがあります。 アメリカの裏側(暗部)みたいな読み方をされそうな本ですが,個人的には,アメリカ史を(羅列的であることを敢えて排して)ある視座から捉えなおそうとする,意外に真っ当な試みであるように思います。
 
グリムのような物語〜トゥルーデおばさん (諸星 大二郎 朝日ソノラマ)
 グリム童話に取材した短編漫画集。 マンガと侮るなかれ,グリム童話はあくまで出発点に過ぎず,そこから自由にイマジネーションを羽ばたかせて,著者ならではの時空を創り出しています。
 諸星大二郎というと,最近は「栞と紙魚子」シリーズなどの,わりと軽めの作品が目立っているように思ってましたが,健在ぶりを強く印象付けられた1冊です。
 
刑務所の風景 (浜井 浩一 日本評論社)
 著者が刑務所に勤務したときの経験を記したモノグラフ。 初出は雑誌「法学セミナー」での連載記事らしく,そのせいか,比較的軽やかな筆致で刑務所の中のシステムや状況が描かれています。 扱っている題材・内容からは意外なほど楽しく読めてしまいますが,その軽やかさの中に,現在の社会における刑務所の抱える様々な問題が見事に浮き上がってくる好著……という感じです。
 
 
 はじめの2冊は新書ですが,去年はぶっちゃけ「新書の年」だったような気がします。 新書は手軽だけど,あのサイズだとどうしても細かい議論は端折ってしまわれがちで,例えば,現状分析みたいなことが述べられていたとしても,いきなり結論めいたことが述べられると,その内容が妥当なのか読んでいてなかなか判断できないところがあります。 まあ,そうした部分は(ある程度)著者を信用するしかないわけですが,やっぱりどうにも「食い足りない」感じが残ってしまいますね。 もう少し実証ベースで議論して欲しいという感想を持つことが多かったように思います……ないものねだりなのかも知れませんが。 あと,「なぜ○○は××なのか」みたいな書名があまりに連発されすぎかな,という気も……。
 う〜む,読書量少ないってヤツが何を言ってるんだ!?って感じかな?  「買っただけ」の本も溜まってるし,今年はもっと量を増やしたいところです。

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メディアの呼び起こす感情

 「医学都市伝説」という有名サイトがあり,愛読してます。 書いてらっしゃるのは精神科医を本業とする方で,医療系を中心に,世間に広く流布している「都市伝説(単なる「うわさ」よりも,真実味を伴って語られているもの・・・という感じでしょうか)」を紹介して,時にはそれに関するデータを示したりしながら,論評を加えるという形式になっています。
 このサイトのメインコンテンツである「医学都市伝説」の抜粋で構成された「死体洗いのアルバイト」という本が1年ほど前に出版されていて,最近になって,遅ればせながら買って来ました。
 いちいちつき合わせてみたわけではありませんが,基本的にはサイトに書いてある記事をほぼそのまま収録した本のようです。 とだけ書くと,「それならサイトを訪問すれば事足りるじゃないか」という気がしないでもありません(事実,amazon.co.jp なんかの書評ではそういう意見も多いようです。 僕は楽しく読みましたが。)が,個人的にちょっと面白かったのは,僕の場合だけかどうかは分からないけれど,読後の感想が,web 上で読んでたときとは微妙に違っているのです。 なにか,そのときよりもちょっとだけ「重たい感じ」になるとでも言うのでしょうか。 医療系の話なので人間の生死にかかわるエピソードも語られていたりするのですが,そういう場面では web 上での初読時よりもかなりズッシリした感動を味わうことになりました。 また,軽快な小ネタみたいな文章でも,以前感じた「軽やかさ」よりはむしろ「諧謔味」とでも言うべきものに置き換わって感じられます。
 このような感想の変化は一体どこから来るのだろう? と考えると,それはもちろん「再読である」ことの影響もあるのかも知れませんが,どうも,それ以上に「本である」ということが読み手(=僕)に微妙な影響を及ぼしているのではないかと思ったりします。 同じ「活字(的なもの)を読む」という行為に他ならないのに。 本という「物理的な体裁」や「横書きから縦書きに変わったこと」などが微妙に受け手に与える印象を変化させているのではないか?と思えるフシがあるわけですね。
 これを一般化するなら,“同じ情報でも,その情報を担うメディアによって受け手に呼び起こす感情が異なる”・・・ってなことになりますが,平たく言うならこれは結局のところ,僕達よりも上の世代の方々が言う「本を読むときは背筋が伸びる(だから本はありがたい,みたいな話につながってたりする)」的な,既にある多くの指摘とさほど変わないことになります(あまり面白くないですね (^^;)。
 日頃,特別に本をありがたがったりしているわけではない(つもりだった)ので,こうした違いを自分が実感として味わって新鮮な気分だったのだろうと,自己分析してみたりするのでした。

 さて,こういう違いというのは,異種メディアがそれぞれ本質的に内包している性質の違いなのだ・・・と(本という「物理メディア」とインターネットという「電子メディア」…みたいな対比はあくまで1つのモチーフだとして)強弁できるとちょっと面白いのかもしれないのですが,それをやろうとすると,例えば本の権威を擁護するような,ある意味古典的・権威主義的な方向に向かう以外には,相当よく考えないと,あまり説得力のある意見が構築できそうもない。 まぁ,それよりはやはり,情報を受容する側(=僕)がメディアに対して何とはなしに感じている属性を,得られた情報そのものの方に意識的/無意識的に投影していることが主要な要因であると考えるほうが,むしろ妥当なんだろうな・・・という方向に落ち着いてしまいます。
 で,後者の見方に立つなら,こうした受け取り方の違いが僕とは逆の方向(=ネットで見る情報のほうが重たく感じられる)の人がいることも,可能性としては考えられるハズですが,あんまりそういう意見は聞かないように思います。 これは本というメディアには歴史もあり,また書物にはある種の権威という属性があったということと無縁ではないでしょう。

 では,ちょっと強引だけど,僕のような感じ方は極めてフツーであり,同様な感じ方をする人が相当の割合でいると仮定するなら,その範囲(の規定の仕方)はどの程度まで拡げて考えられるのでしょう?

 単純に “本に接する機会が比較的多い人の集団” ということになるのかも知れないけど,ネットというメディアとの対比で言うなら,ネットをよく利用している人とそうでない人では違いがあるだろうと考えられます。 一見もっともらしい。 でも,そういう視点で議論しようとすると,上記の議論の流れから,僕自身は「ネットをあまり利用しない人」にカテゴライズされなければいけないことになります。 フツーの社会生活を営んでいて,そんなネット漬けな生活をしてるわけではないので,それはそれで正しいと言えないこともないし,「よく利用している」という定義づけは程度による区分けであることを示しているわけだから,「ネット利用者」を若干限定的に定義することにすれば十分成り立つ議論になりそうですが,一般的な感覚としては,こうしてネット上に文章を書いたりしてる段階で,僕を「ネットをあまり利用しない人」に分類するのでは,分類の妥当性に疑問符がつくと感じる人の方が多いかも・・・とも思えます。 それではあまり説得的な議論にならないかも。

 となると,もう少し「世代論」的なものを持ち出すべきなのか?
 世代論的な決定論は僕の好みではありませんが,「生まれたときからテレビがあった世代」と「それ以前」という区分けの仕方がよく為されるので,これと同じ発想に立って,「生まれたとき,ないし,ものごころ付いたときにはインターネットに繋がる環境があった世代」と「それ以前の世代」とを対比させると,前者では,本の情報とネットの情報とをそれほど先入観なく同列に扱えるのかもしれない・・・という推測は可能かも知れません。 僕と同じような感じ方をする集団として考えうる最大の集団はこのときの「それ以前の世代」ということになるのかな? う〜む,なんか旧人類にされたようで,あまりいい気はしないけど (^^;,まあまあ妥当な線引きなのかも。 ただ,これを採用すると,本というメディアの持つ重みは今しばらく安泰で,本メディアが新たな相対化に直面することによる変化が起こるのはもう少し先ということになりそう。

 以前にも取り上げた梅田望夫さんの BLOG の中では,インターネットの普及以後,情報リテラシーに長けた「ネット世代」とでもいうべき集団が登場しているという考えが述べられていて,ネット世代とそれ以前の世代とでは,情報に対峙するときの姿勢や,情報を処理する(多くの情報の中からより確からしい情報を選び取り,それらを自分の中に位置づけ統合する能力が想定されているようです)自己の能力への確信などの面が大きく異なっており,その違いが,行動様式にも影響を及ぼしているという議論を繰り返し行なっています。 この考え方の妥当性については,ある面で疑問を感じなくもないのですが,いやおうなしに多くの情報に晒される今の時代にあっては,それらの情報をどのように自分の中で処理するかという問題が極めて重要であり,しかも,社会に表出される各人の行動とそうした(個人レベルでの)情報処理の結果とが結びつくウェイトも従来より遙かに大きくなる・・・ということを世代論的な言い方で指摘したものだと捉えることが出来ます。 この辺の分類も「本に対して僕と同じような感じ方をする集団/しない集団」とミートする考え方かも・・・。
 
 
 
・・・などと,本の内容とは関係ないところで妄想が膨らんでいくのでした。
 
 
 
 
p.s.
ということで,オチなし・結論なしなので,何かまとまった主張を期待して(読みにくい文を)最後まで読んだ方,どうもすいません (^^;;。 今回はちょっとした思考のお遊びということで,お許しいただきたく(ぺこぺこ)。

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