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一家に一台,サイクロトロン

 最近読んで意表を突かれたニュースがこれ:

# 自宅に粒子加速器を設置?——近隣住民と議会から猛反対 (HOTWIRED JAPAN)

ちょっとだけ引用すると,

 アラスカ州アンカレッジ在住の土木工学専門家、アルバート・スワンク・ジュニア氏(55歳)には使命がある。スワンク氏は、自宅に粒子加速器を設置したいと考えているのだ。

 だが周辺住民は、スワンク氏の工事会社を兼ねる自宅にその20トンの装置を設置するという計画を知ると、素早く反応した——うちの近所ではやめてくれ。

 アンカレッジ市議会はすぐに、在宅ビジネスでのサイクロトロン(写真)[荷電粒子を加速する装置の一種]の使用を禁じる法案を緊急に提出した。アラスカ州の保健衛生当局もこれに歩調を合わせ、スワンク氏に対する自宅敷地内でのサイクロトロン稼動許可を保留している。


「いや〜,こんな人が出てくる時代になったとは……」と,驚きともあきれともつかない奇妙な感慨を覚えてしまいます。
 
 さて,記事を読む限り安全性への懸念が大きいようですが,記事の中でフェルミ国立加速器研究所(Fermi National Accelerator Laboratory; Fermilab)のロジャー・ディクソンさんが述べている通り,加速器は原子炉とは違います。 原子炉の出す放射線に比べたら,加速器から出る放射線なんて微々たるものに過ぎません。 もちろん,Fermilab や高エネルギー加速器研究機構(KEK)や,あるいは大阪大学核物理研究センター(RCNP)のような大きな加速器になるとそれなりに強い放射線が出ますが,そうした巨大施設でさえも原子炉の場合とはまったく比較にならないだろうと思います。 この記事の加速器のスペックをきちんと調べてないので断言は出来ないけど,サイズから想像するに,ある程度の距離をとれば放射線は十分バックグラウンドに埋もれてしまうでしょう。 まあ,なんなら設置場所を分厚いコンクリートで囲むとかすればいいし,インターロックなんかつければ,なおいいでしょう(実際の施設のやりかたに近づくので教育的効果もあるし,だいいち,なんかカッコイイじゃないですか (^^;)。ディクソンさんが言うとおり,一番の危険はむしろ感電事故だろうと思います(高電圧を使うので)。
 
 とまあ,こうした,安全をめぐってのコメントの面白さもさることながら,次のくだりがまた素晴らしい:
スワンク氏はまた、この装置を利用し、若者たちの科学に対する学習意欲をかきたてたいとも考えている。

 「17歳の私が最初のサイクロトロンをこの家で作った(写真)とき、父が手伝ってくれた。教育を受ける過程での私のあらゆる探求を父が後押ししてくれたおかげで、今の私があるのだ」と、スワンク氏は語る。


17歳で自宅にサイクロトロンを作ったというのもスゴイ話ですが,それを父親が手伝ってくれたというのも,なかなかいい話です。 そんなことが出来る家だの親だのが日本にいるのだろうか?などと,つい考えてしまいますが,記憶を掘り起こしてみれば,そういえば僕の父親も(当然サイクロトロン作りのようなレベルとは違うものの)それなりに面白がってやってくれたこともあったなあと思い当たるフシもあるので,その点では日本を卑下する必要もないのかも知れません。 むしろ,先日の asahi.com の記事「理科大好きでも科学者イヤ 中3男子56%・女子81%」のような風潮のほうをなんとかしなければいけないのでしょう。
 
 
 話を元に戻すと,今や最先端の科学が到達しているレベルは非常に高くなっているわけなので,それに合わせて,子供時代に接する実験器具も,単純なものはもちろん,かなり高度なものが入り込んで全くおかしくありません。 恐らく実際にそうなっているのでしょうが,それなら,その延長線上で,中にサイクロトロンの1つくらい紛れ込んでも,不思議とまでは言えないという時代になりつつあるのかな……なーんてことをちょっと思ったりします。

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